南相馬(原町)の近況など

2011年04月05日(火)

南相馬市近況。と書きました所、とたんにものすごいアクセス数になりました。

海外からのアクセスも何件かあり、それだけ南相馬市の現状を知りたい人達が

大勢居られるんだと知ることが出来ました。

私もこの街の本当の現状を知りうる範囲で書いて行ければ思っています。

(マスコミなどのTV報道ともだいぶギャップが出てきています。未だにゴーストタウンとか言われているし。)

 

街の中は日を追うごとに再開する商店さんや、コンビニが増えています。

営業している商店さんを1つ1つあげて行くと大変になる位お店は開いています。

後は大手のスーパーさんが、がんばって営業再開してくれるとありがたい。

コンビニに至っては、原町にあるセブンイレブンは8割方営業しているし、

6号線沿いのローソンは仙台方面はすべて開いています。

ガソリンの方もだいぶ供給されているようで、開店時以外は並ばず入れられます。

ただ、正直ガソリンの値段もだいぶ上がっているし、無理に満タンに入れる必要も

なくなって来ているので、こちらの方は沈静化してきています。

それと、原町の自動車教習所は教習を再開しております。

(路上教習しているのを見てちょっとビックリ!)

夜営業の飲食店さんも再開している所も増えていますし、

それに伴い、運転代行さんも営業しているみたいです。(未確認)

あとは各銀行、郵便、大手宅配便の再開を望む。

だいぶ改善はしてきていますが。(ATMなど)

 

原町に籍を置く大手の工場(1社2社では無い)も今月をメドに操業を再開するようで、

避難していた社員も原町に帰ってきているそうです。

私が青年部でお世話になってる原町商工会議所も今週より再開。

そんな中、今いる青年部メンバーでこれからの原町の復興に向けて

我々が出来る事を模索中。

①沈みがちな南相馬市の機運を盛り上げるキャンペーン

②現在の南相馬市の現状をリアルタイムに広く外に発信

今はこの2点でしょうか。これを速やかに実行に移そうとなりました。

 

最後にわが社の近況。

市内の工場が再開に向け動き出した事により震災前より行っていた仕事も

再開出来るようになりました。

7割ほど終っていた工事だったので作業を再開できると聞いて喜びました。

ただ、状況はまだまだ厳しく、次に繋がっていくはわかりませんが、

なんとか乗り切って見せますよ。




南相馬市で頑張っていきます。

2011年04月01日(金)

私、(有)原町美装 代表 菅野 知洋は現在南相馬市原町区に戻っております。

 

この南相馬市原町区で再び事業を再開すべく本格的に始動いております。

とは、言うものの仕事としては、震災前からの仕事が残っている位で

その後は、白紙と言うのが現状です。

20㎞~30㎞の屋内退避地区と言う観点から原町区において外に出て仕事をする事を

行政としては宜しくないと聞いています。(ダメとは言っていない。)

 

隣の相馬市はすでに復興に向け動き出しています。

南相馬市だけが取り残されていると感じているのは私だけでは無い筈です。

正直、焦りも有ります。だけどもう、立ち止まるのはやめます。

南相馬市の事業者が今、歩みを止めてしまったら、

やっと灯り始めた復興の灯を消してしまうことになると言う思いから

とにかく出来る事からやっていきます。

 

今日のお昼の事、職人の門馬君が避難先の山形から訪ねてくれました。

震災後3週間ぶりでした。

震災からこれまでの事、そして、これからどうして行くべきか、

私、私の両親、高島職人、門馬君で顔を合わせ話す事が出来ました。

南相馬市で会社として維持して行くべく雇用の助成金なども視野に入れ

様々な可能性を否定せず会社や従業員の生活を守っていける様

私はやらなければならない。

 

ちょっと硬くなったので余談ですが、ウエシマ作戦って知っていますか?

そうダチョウ倶楽部の「どうぞ。どうぞ。」のギャグから由来するもので

「どうぞ。どうぞ。」とみんなで譲り合って行こうと言うキャンペーンみたいなものですが、

私の1歳半の娘が最近良く使う言葉がこの「どうぞ。」です。

自分のお菓子を私へ差し出し「はい、どーぞ。」と

口の回りにお菓子のカスをいっぱい付けて言います。

私も「ありがとう」と答えると満面の笑みを浮かべてくれます。

震災後なかなか休まらない心もこの時は癒されます。

 




再始動 仙台から南相馬へ

2011年03月22日(火)

震災より12日が経ちました。私が身を寄せている仙台の街も
復興に向け動き出している感があります。
そんな中、南相馬市は原発事故の件で現在進行形で被災地の只中です。

我が社も現在活動休止をしていますが、いつ迄も留まっている訳にも
行かないと考えております。
ちょっとづつ、ちょっとづつでも前に進んで行こうと。

被災地以外の関係先などに連絡を取りながら
どんな小さな仕事でも呼んでもらえる様努力を続けたい。
正直、手応えは全然です。
それでも、いざ動き出す時の事を考えて今から準備だけはして置きます。

それと同時に南相馬市の復興の一助となれる様、尽力したい。
震災後、原町商工会議所青年部のメンバーも原町に残っている人達を
中心に動き出していると聞きました。
それに呼応する様に、避難していたメンバーも戻って来ています!
私も準備が整えば駆け付けると決めています。




南相馬市の塗装屋 職人達のその後

2011年03月19日(土)

震災から一週間が経ちました。
原発の方は、先程のニュースでは、1号機2号機に外部電源接続が終わり、明日以降通電する、とのことでした。うまくいくことを心より願っております。

原町美装の職人たちが、震災後どうしているかをお知らせします。

まずは、高島職人。

高島さんはご両親と娘さんと4人で、東京に避難しています。区役所で事情を話したところ、住まいの受付をしていて抽選だそうですが、決まれば無料で入れるそうです。

門馬職人は、ご家族とともに、山形の避難所におります。

坂本職人は、茨城にいる弟さんのところに避難したとのことです。

今日3人とも電話で話しました。みな、また南相馬に戻りたい、という思い、原町美装として南相馬の復興の力になりたい、という思いは同じでした。

門馬くんは、以前働いた千葉の塗装会社からも声をかけてもらったものの、いつでも南相馬に戻れるようにお断りしたそうです。

私も、皆がいつでも南相馬に戻って来れる様、今居る仙台でしっかりと準備をして環境を整えていきたいと思っております。(菅野美紀記入)




信じられるのは人の縁

2011年03月19日(土)

原発事故の為、避難を余儀なくされた私たち家族のその後の状況を書きます。

 

先述の通り私と妻と娘の3人は仙台へ。

両親、弟、祖父母、叔父、姪+オハナの7人と1匹は東京の妹の所へ一時避難しました。

私たち3人は妻の実家に快く迎えてもらい一息着けました。

ここはガス以外は復旧し、直ぐ前の義祖母の所はプロパンガスでしばらくは持ちそうです。

食糧は何時間か並べば買える。高齢の方には辛そうですが。

 

東京に避難した家族の方は妹の1Kのアパートに8人と言う状態になり

とても落ち着くどころの話ではなくなってしまいました。

そんな所へ、行政書士をしている弟の携帯に1本の電話がかかって来ました。

母の話によると、以前同業者のつながりで弟に仕事をお願いした事のある

愛知県在住のFさんからで、こちらの方で空家があるから、気持ちも落ち着ける為にも

愛知に身を寄越さないかと、言って頂き悩んだ末、両親と弟、オハナは愛知県の

岡崎市へ向かうことになりました。

 

岡崎市のコンビニでFさんと待ち合わせをして市役所へ行き避難者の申請をしたそうです。そこでは災害支援用のセットと毛布を頂き空家へ向かいました。

そこは新築のまだ人の入っていない一軒家で両親と弟は驚いていました。

Fさんからも色々と生活用品を融通して頂いたとの事でした。

その夜は3人と1匹は身を寄せ合って暖をとったと聞いています。

普段あまり感情を外に出さない弟のこの時は、Fさんや、

岡崎市役所の人達などの恩に触れ、

「僕はこの恩をどのようにして返して行けば良いのか。」と泣いたそうです。

 

現在も原発は余談を許さない状況が続いています。

私達の会社も今後の推移を見守るしかありませんが、

早く帰って皆さんに再会できる事を祈るばかりです。




震災から五日 南相馬市の塗装屋

2011年03月16日(水)

南相馬市の塗装屋 菅野です。

私の住む南相馬市は東日本の大震災により壊滅的な状況です。

震災から五日目、原発問題で私と妻と娘は昨日、妻の実家のある仙台へ避難しました。

両親と弟、祖父母、叔父は妹の居る東京に行きました。

従業員たちもそれぞれ避難したと聞いて一安心しました。

 

何とかネット環境も整い、こうしてブログを更新しています。

ただ南相馬市は今も刻々と深刻な状況が続いています。

桜井市長もNHKにて再三、訴えているように事態はひっ迫しています。

南相馬市を何とか救いたい!

残された多くの人達を何とかしたい。まだ友人もたくさん残ってる。

このままではふるさとが潰れてしまう。

何とかしてくれ、国でも、県でも、米軍でも誰でもいいから!

私も外からになるけど、自分に今出来る事を探しています。

では また




南相馬を盛り上げたい。

2011年01月24日(月)

ご無沙汰の登場となります。2代目塗装屋、菅野です。

ここ最近、更新出来なくて申し訳ないです。と言うのも、

先の事務所日誌のとおり、商工会議所の青年部活動も1年で最大のイベント

「冬まつり」を開催するにあたり、年末年始と、仕事を職人さんに任せ原町区内を東奔西走してました。

(もちろん会社の理解があってこそです。ありがたい、ありがたい。)

 

22日の冬まつり当日は天気にも恵まれ、多くの市民の方々に来て頂きました。

また、イベントに協力して頂いた九曜太鼓さん、はね駒さん、原二小には冬まつりを大いに

盛り上げて下さいました。

ゆどうふ大食い大会も当初、参加者が集まらず焦りましたが、当日は18人も参加していただき、

ほっと、胸をなでおろしました。大会は小学校の先生の2連覇で、京都の本選でも優勝を狙いに行くそうです。

 

去年の春より地域の活性化を目的とする委員会の長を任せられ、活動して来ましたが、

会社の人たちや、家族、また理解して下さる方々のお陰で、活動させてもらっている事を忘れず

青年部会員の仲間たちと南相馬市をより盛り上げて行けたらと思っています。

まずは、地域を盛り上げる事、それによって地元が潤えば、回り回って自分達の所へ帰って来ると僕は信じています。

 

 

あっ、仕事の事全然書いてない。




本年もお引き立てください

2011年01月10日(月)

新年も、はや10日も過ぎ、正月気分もすっかり抜け外の空気のように引き締まった感のある2代目塗装屋 菅野です。

わが社は、7日が仕事始めでありました。

新年最初の仕事は当ホームページを見てお仕事を下さったE様邸の塗替え工事です。

7、8日は仮設足場工事と外壁の水洗い。

  

年末、年始と鈍ってしまった身体には、ちょっと堪える作業になりましたが

そのおかげで身体も目覚めた感じです。

そんな仕事始めになりましたが、今年は卯年なので、我社も更なる飛躍の年にする様、頑張って参ります。




年末はやっぱり・・・しんどい

2010年12月18日(土)

すいません。年末の雰囲気にあてられて中々、更新出来てないです。

どうも塗装屋2代目菅野です。

お仕事の方はお陰様で、新年に向け順調にはかどっています。

ただ、今年の休日はもう無いかなと・・・有り難いことです。

作業状況など、写真も撮りたいけど、仕事に集中し撮り忘れる有様。

夜は夜で、神楽、青年部、飲み、神楽、青年部、飲み。

なかなかパソコンの前に座れてない。

疲れを癒してくれるのは、1歳の娘の笑顔。




週末の報告

2010年12月13日(月)

週明け月曜日、朝からどんよりとした天気です。午後からは雨。

こんにちは、南相馬市の建築塗装屋、菅野です。

まずは、土曜日の現場報告。

小谷津工務店T様邸

 

外壁 仕上げ塗装作業及び手直し。

仕様材料はエスケー化研のセラミクリーン。吹付け用とローラー塗装用が有り、今回はローラー塗装用の材料です。

(ゆず肌状ローラー仕上げ)

仕上りはこんな感じです。

  

塗装前                                塗装終了後

これで外部塗装は終了。残るは内部塗装です。

 

佐藤建業様 日立原電様守衛棟屋根塗装

ここ数日なかなか仕上げの出来る天気ではありませんでしたが

土曜日はやっと仕上る事が出来ました。

この時期は午前10時から、午後3時までが塗装の出来る時間帯で、

それ以外は空気中の水分が屋根に付着するので限られた時間との戦いです。

 

日曜日 朝5時起きで山形の天童市へ

原町商工会議所青年部の研修のため天童の平成鍋合戦に行って来ました。

  

ただ見て回るだけでは得るものも少ないという事で、この日のためにオリジナルの鍋を制作し参戦して来ました。

  

詳しくは青年部のブログの方をご覧下さい。http://haramachi-yeg.jugem.jp/

なお、このオリジナル鍋は来年1月22日開催予定の原町商工会議所青年部主催の「冬まつりインはらまち2011」で販売いたします。

興味のある方はご来場下さい。