フレスコキクチ北町店へ(南相馬市原町区)

2011年04月30日(土)

南相馬市の塗装屋、(有)原町美装です。
ありがたいことに、今日も現場で仕事が出来た1日でした。
さて。南相馬市では大手スーパーが続々と再開します。
今日は、フレスコキクチが、原町区北町の店舗で営業を再開しました。
私も早速行って来ました。11時頃に着くと、駐車場は既に一杯。警備員の方に、隣にある公共施設サンライフ原町の駐車場に停めるよう言われました。車を停め店内に入ると、やはり混み合っていて、レジも並んでいました。私たちが帰る11時半頃には入場規制がかかっていて、入口には、店に入るのを待つ行列が出来ていました。帰り際には、サービスでオレンジのカーネーションを一輪いただき、嬉しい気分になりました。
買い慣れた地元のスーパーで買い物できるのは、気持ちが落ち着きます。
南相馬市では、5月4日にヨークベニマル原町西店、5月6日にイオンも営業を再開します。
その一方で、忘れてはいけないこともあります。震災後、大変な思いをして商品を仕入れ、市民の為に店を開いていた地元の小さな商店のことです。屋内退避などでどうしようもない状況の時も、原発風評被害で物資が入らない時も、自分達で物資を仕入れに行って店を開いてくれた地元の商店の人たちのことを忘れてはいけないと思います。




南相馬市の復興について

2011年04月30日(土)

南相馬市の塗装屋(有)原町美装の、菅野美紀です。

気がつけば、GWですね。もう4月が終わるのも驚きですし、震災後は毎日何曜日かも分からない感覚でいたので、連休という実感もない感じです。

さて。4月20日のブログでご紹介しました奥村丈夫先生から、たくさんの参考資料を教えて頂きました。その中でも、分かりやすく、とても参考になるものがありました。サイエンスメディアセンターHPにあります、カナダ大学・ウォルトナ―テーブス教授の資料です。http://smc-japan.org/?p=1620

資料の中で「汚染への対策」という項目があり、土壌改良について書かれた文をご紹介します。‘長期的には、石灰とカルシウムを豊富に含む肥料を土壌に交ぜて、放射性核種に競合する安定的元素として作用させること、および牧草を150ミリメートルの株に刈り込むこと、この二つの方法はどちらも、汚染地域で刈り取った飼い葉中の放射性核種の濃度を低減させると言われている’

南相馬市長が、4月25日の共同通信社の取材で、こんなことを答えていました。「脱原発とかアンチ原発ではなく、原発を克服する産業の拠点にしたい」と。具体的には、放射能汚染の除去技術や原子力に代わる次世代エネルギー開発などにかかわる企業や資本、人材を集積を呼び掛けたい、ということです。それも、日本だけではなく、世界の勇気ある人たちを集め、英知を集積したい、というお話でした。

私は、素晴らしい復興構想だと思いました。南相馬市の復興を考える上で、放射能の問題は避けて通れない重要な問題です。重い問題ではありますが、英知を集積していけば出来る、と信じています。

(お詫びと訂正)

4月20日のブログでご紹介しました奥村丈夫先生のプロフィールに誤りがありました。大変申し訳ありませんでした。心よりお詫び申し上げます。正しいプロフィールを、ご紹介致します。(4月20日ブログも訂正させていただきました)

奥村先生は、第一種放射性物質取扱士(第一種放射線取扱主任者)、放射性物質測定士の資格(第1種作業環境測定士)をお持ちで、長い間、㈱花王に勤務され、花王ご退職後は(株)日本中性子光学の取締役をされていました。現在はご退職され、杉野服飾大学の非常勤講師として化学を教えていらっしゃいます。放射性物質に大変詳しい先生です

奥村先生、大変申し訳ありませんでした。そして、本当にありがとうございました。




オハナ 南相馬で元気です!

2011年04月22日(金)

南相馬市の塗装屋、(有)原町美装です。
震災後、工務店さんから「仕事は出来るのか?」といった問い合わせもありますが、通常通り営業しております。
材料も塗料問屋さんから仕入れ出来るようになっていますし、、原発事故に伴う屋内退避措置も非常時のみと緩和され、屋外での作業も出来るように成りましたので、がんばって営業しております。
最近では、工務店さんから頂いたお話ですが、地震で壁にヒビが入り、補修&塗装をしてもらいたい、というお話もありました。有り難い事です。
震災や原発事故など、まだまだ大変な時で、家屋の修繕まで気が届かない所だとは思いますが、何かありましたら、どうぞいつでもお気軽にご相談下さい。

話は変わりますが、原町美装と言えば、看板犬のフレンチブルドッグ おはな です!!
震災後一度もブログに登場していませんでしたが、当HPを作成して下さったウェブレントさん
http://webrent.jp

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最近のブログに愛犬ゴンさんの記事があり、それに触発され、オハナの写真を載せたいと思います!
震災にも負けず元気なオハナです!!




素晴らしき福島(避難指示区域の名所を思う)

2011年04月21日(木)

南相馬市の塗装屋(有)原町美装の菅野です。
今日は、避難指示区域について書きたいと思います。
20km圏内の区域、加えて飯舘村や川俣町(一部)の様な計画的避難区域、どちらも、とても自然が豊かな地域です。
昔ながらの道具や風習を大切にしています。食べ物も、自分達で育てた米や野菜はもちろん、山々から取れる山菜やきのこも豊富です。牛や鶏なども盛んです。
そんな自然あふれ、自然と共に生きて来た人達が、(電気も都会の人よりずっと使っていないと思います。)原発の被害をもろに受けてしまうこと、大切に守ってきた自然から離され避難しなくては行けない事に、とても胸が痛み、やりきれない思いになります。

まずは飯舘村から書きたいと思います。ここ南相馬市原町区から飯舘村までは、わりとクネクネした山道の峠を通って行きます。運転するのはちょっとおっかないのですが、よく村の直売所に行きました。一番の目当ては、きのこです。飯舘村の山の中には、松茸はもちろん、様々なきのこが生息しています。秋になると様々な種類のきのこが直売所に並びます。特に菅野家で目当てにしていたのが、「イノハナ」と呼ばれる黒いキノコ。母は「イノハナ」の混ぜご飯が大好きでした。`キンモクセイの花の香りがする頃イノハナのキノコが採れる´と言うので、毎年秋になると、「そろそろキンモクセイの香りがするから…」と飯舘村に向かい、直売所をまわってイノハナを探すのでした。しかし、きのこ好きは多いみたいで、午前中に行っても既に売り切れていることが多々ありました。母は、きのこ採りにも挑戦していましたが、やはり村の人間でないと難しいみたいで、採れないで残念がって帰って来ていました。他にも、餅草を山程買って来て凍餅を作るのに使ったりしました。ここ数年で新しく出来た米粉のパンも好きでした。あとは、やはり飯舘牛。買って食べた事はあります
が、村にある飯舘牛のレストランに行けず終いのうちに、こんな事になってしまいました…。
双葉町や大熊町はタマゴが有名です。母は、わざわざ行って段ボールでタマゴを買って来ていました。たまごの里みたいな所があって、そこで売っているプリンも美味しかったです。また、ダチョウがいるところがあり、そこではダチョウのタマゴも売っています。タマゴ1個、確か3000円くらいで菅野家でも購入し、どうやって食べるか悩んだ挙句、卵焼きにして食べました。30センチはあっただろうその殻は、娘が遊んでいました。
富岡町には、桜の名所があります。夜ノ森公園という所です。公園の中での花見もいいですが、何と言っても「桜のトンネル(特に夜)」です!道路の左右両側に桜の木があり、夜はライトアップされ、車で通ると、桜のトンネルを通る感覚でとてもキレイでした。
浪江の請戸は鮭で有名です。鮭の溯上も間近で見られます。私ももちろん見に行った事がありますが、川を勢いよく上り、次々と飛び跳ねる大量の鮭の姿は、ものすごい生命力を感じ感動しました。その脇では、鮭のあら汁を振る舞っていて、有難くいただいたその味は、とても美味しかったです。

私が福島に住んだのは、たった5年です。しかし、福島の自然には本当に感動しました。そこに住む人達が、どれだけ自然を大切にして、自然と共に暮らしているか、近くで見て肌で感じました。
今日9時のNHKニュースでは、20km圏内が立ち入り禁止になるので、牛を置いて避難しなければ行けない事を悲しんでいる方が紹介されていました。その方が撮って来た牛の映像もあって、見ていてこちらも涙が出ました。あの牛たちも、どこか避難させてやれないのでしょうか。




奥村丈夫教授の講演(南相馬市原町区太田公会堂にて)

2011年04月20日(水)

南相馬市の塗装屋、(有)原町美装の菅野美紀です。

今日は、奥村丈夫先生のお話を紹介したいと思います。

奥村先生は、第一種放射性物質取扱士(第一種放射線取扱主任者)、放射性物質測定士の資格(第1種作業環境測定士)をお持ちで、長い間、㈱花王に勤務され、花王ご退職後は(株)日本中性子光学の取締役をされていました。現在はご退職され、杉野服飾大学の非常勤講師として化学を教えていらっしゃいます。放射性物質に大変詳しい先生です。

昨日から南相馬に来ていらっしゃるそうで、今日は原町区太田公会堂で先生のお話を皆で集まって聞きました。質疑応答を含め、8時半頃から11時くらいまでお話がありました。今日のブログで、その中から何点かご紹介させていただきます。

①南相馬市の安全性について

南相馬市の放射性物質の測定値は、3月12日以降、継続的に下がっています。

3月14日と3月15日に水素爆発が起こりましたが、その時、放射能物質は南相馬市方面には飛んで来ていないのです。

測定値をもとにしたデータを見れば、南相馬市の安全性は分かります。今までの南相馬市の数値では、ガン等病気の発生率が高くなることもないし、エアコン等使っても大丈夫とのことでした。

また、下の表を見ると、昔の値に比べても、今の数値はずっと低い事が分かります。10の5乗あった数値が今は10の1乗、つまり千分の一、の値だそうです。昔は、核実験などで放射性物質もばらまかれていたそうですが、その中で育った方は奥村先生も含め、今健康に生きていらっしゃる、とのことです。

うちには子供がいるので、子供に対する影響も聞きました。乳幼児で気を付けなければならないのは、放射性物質を体内に取り込むこと。ですので、食べ物に気を付けたり、また、屋内に居れば放射性物質は10分の1になるので、外に長時間出さない等の点を気を付ける、とのことでした。

国でも県でも、この辺りの放射性物質の測定場所をもっと増やして、継続的に測っていく事が大事だということでした。測定値によって、局所的に高い場所も分かるし、安全であることの証明にもなるからです。

②臨界爆発が起こる可能性は、限りなくゼロに近い

燃料棒が、1cm間隔で、棒と水とが規則正しく何十本と並ばない限り、再臨界は起こらないそうです。今回は制御棒がきっちりと働いたから大丈夫、とのことでした。

③原子炉の構造について

福島第一原発の、1~6号機を作った方に、先生が話を聞かれたそうです。第一原発1号機の爆発で、建屋5階部分が吹っ飛んだ映像がテレビで流れていました。しかし、作った方の話では、これはもともと吹っ飛ぶように作っているそうで、その厚さは、格納機の壁の厚さとは比べ物にならない位、薄いのだそうです。また、2号機の側壁に穴が開いた、と問題になっていますが、これも、爆発したら抜けるように作ってあるそうです。何故かというと、爆発して燃料棒が出てきた時に水素が発生しますが、水素濃度が5%以上になると水素爆発が起こってしまい、それにより原子炉がダメになってしまわないように、水素が逃げるように、穴が開くよう設計したそうです。

他にもまだまだ、多くのお話があり、とても参考になり、また安心しました。個別の質問にも、みな丁寧にご回答いただきました。南相馬に来て頂いた事、本当に感謝しております。どうもありがとうございました。

先生が所属していらっしゃる学会や、研究結果などのサイトを教えて頂いたので、またご紹介できれば、と思います。

私は、仙台に避難しましたが、やはり福島県外に出ると、放射能に対して偏見の目が強く、南相馬と言うと、ものすごく放射能が強くて大変なことだ、と思われてしまいます。そうした偏見を少しづつでもなくして行きたい、と思いますので、この場を借りて情報発信していきたいと思っています。

(原町美装の営業もしておりますので、塗装の事など仕事のお問い合わせも、お待ちしております)




南相馬市の郵便、市役所の様子

2011年04月19日(火)

南相馬市の塗装屋、(有)原町美装の菅野美紀です。

南相馬での出来事。今日は、郵便について書きます。

南相馬市原町区では、郵便配達はやっていません。

所定の手続きをすると、原町中央郵便局で留め置きにしてもらえます。原町中央郵便局駐車場内にプレハブで特設場が設けられていて、そこに取りにいく形です。

  

上の写真左側が、臨時ゆうゆう窓口。この中に入り、写真右側にある用紙を記入して局員の方に渡してしばらく待つと、留め置いてあった郵便を受け取れます。今日行った時は、受取は11時からでした。

留め置きの手続きについては、鹿島区真野郵便局に電話して手続きします。電話番号は、080(6026)9717 ~ 9719 です。(福島の新聞にも掲載されています)

ただし原町中央局では、郵便受け取りのみで、他のサービスはやっていません。

原町南町郵便局では、郵便を出す、切手を買う、などの手続きが出来ます。

私たちも、中央局で郵便を受け取った後、南町郵便局で手紙を出して、かんぽの手続きをしてきました。

それから、今日は南相馬市役所にも行って来ました。とても混んでいました。

私たちは住民票を取りに行きました。同じ様に、住民票を取っている人の列と、あわせて転居手続きの列が人が多かったです。被災証明書、年金の相談窓口も並んでいました。市役所の方は、男女問わず、若い方から年配の方まで一生懸命働いていらっしゃるのが印象に残りました。




南相馬にて

2011年04月15日(金)

(有)原町美装、事務担当の菅野美紀です。

実は、昨日今日と南相馬市にいます(私と娘は、仙台市に避難していました)。 色々と手続き等あり、少しだけ南相馬に戻って来たのです。南相馬市の放射線量数値は、0.63マイクロシーベルト/時間(14日午後7時現在)。特段高い数値ではありませんが(同時刻の福島市は1.9、郡山市は1.79、白河市は0.73)、娘は小さく影響を受けやすいので、娘は外に出さないようにしたりエアコンを使わないようにしたりと、気を付けての帰郷です。

まずは、南相馬市のハローワークに行って来ましたので、そのことについて書きたいと思います。南相馬市のハローワークは現在、火曜日木曜日のみのの開所となっています。10時から開くので、私たちは、8時半に着きました。するとすでに30人程のの列が出来ていました。10時の時点では、100人近く並んでいたように見えました。駐車場は入りきらず、隣に本屋の広い駐車場があり、そこも一杯に埋まっていました。10時に開くと、どんどん中に入れられます。中にはすぐ受付があって、そこで相談内容を伝えます。私たちの様な事業主の相談や、個人で失業給付をもらう手続きの人など様々な人がいて、相談内容によって待つ場所が違うので、それぞれ「あちらで待っていて下さい、名前を呼ばれます。」という風に案内されました。私たちは、11時過ぎた頃に呼ばれました。30分くらいで、相談を済ませる事が出来ました。ハローワーク内は、座る所もないくらいでした。同じ様に、事業主の人で手続きに来てる人も多いようでした。個人の人は、原発の影響で会社が休業になったりで失業給付の手続きの人、会社と連絡が取れない、とかそういう声も聞こえてきて、皆それぞれ大変そうでした。ハローワークの方も、様々なケースがある中、一人ひとりにしっかりと対応して下さっているように感じました。今回の震災、あわせて原発事故で、多くの人が、会社が、雇用に関して甚大な被害を受けたことを、改めて実感しました。

次に、近所であった悲しい出来事を書きます。私が戻る数日前に、近所のおじいさんが亡くなりました。その方は、夜に風呂場で倒れられたそうで、ご家族が救急車を呼んだそうです。しかしながら、南相馬市原町区は、現在救急医療をやっていません。病院も大分再開してはいるものの、日中の外来のみとなっています。相馬市の公立病院は救急もやっていますが、すでに人がいっぱいで受け入れられない、と言われたそうです。福島医大に行こうかとしたそうですが、「福島市内にある医大病院までは持たないだろう、このまま自宅で看取るしかないのではないか。」と言われたそうです。最終的には、南相馬市内の開業医で、救急はやっていないものの見てもらえることになったそうですが、大変悲しいことにお亡くなりになられました。

他にも悲しいことがありました。原町美装の近所は、田んぼが多いです。例年ならゴールデンウィーク頃に田植えをするので、今頃はその準備の光景が見られますが、何もできない田んぼは草が生えて汚くなっていたりして、悲しい気持ちになりました。

南相馬市での出来事や感じたこと。続きはまた後日。




南相馬(原町)の近況など

2011年04月05日(火)

南相馬市近況。と書きました所、とたんにものすごいアクセス数になりました。

海外からのアクセスも何件かあり、それだけ南相馬市の現状を知りたい人達が

大勢居られるんだと知ることが出来ました。

私もこの街の本当の現状を知りうる範囲で書いて行ければ思っています。

(マスコミなどのTV報道ともだいぶギャップが出てきています。未だにゴーストタウンとか言われているし。)

 

街の中は日を追うごとに再開する商店さんや、コンビニが増えています。

営業している商店さんを1つ1つあげて行くと大変になる位お店は開いています。

後は大手のスーパーさんが、がんばって営業再開してくれるとありがたい。

コンビニに至っては、原町にあるセブンイレブンは8割方営業しているし、

6号線沿いのローソンは仙台方面はすべて開いています。

ガソリンの方もだいぶ供給されているようで、開店時以外は並ばず入れられます。

ただ、正直ガソリンの値段もだいぶ上がっているし、無理に満タンに入れる必要も

なくなって来ているので、こちらの方は沈静化してきています。

それと、原町の自動車教習所は教習を再開しております。

(路上教習しているのを見てちょっとビックリ!)

夜営業の飲食店さんも再開している所も増えていますし、

それに伴い、運転代行さんも営業しているみたいです。(未確認)

あとは各銀行、郵便、大手宅配便の再開を望む。

だいぶ改善はしてきていますが。(ATMなど)

 

原町に籍を置く大手の工場(1社2社では無い)も今月をメドに操業を再開するようで、

避難していた社員も原町に帰ってきているそうです。

私が青年部でお世話になってる原町商工会議所も今週より再開。

そんな中、今いる青年部メンバーでこれからの原町の復興に向けて

我々が出来る事を模索中。

①沈みがちな南相馬市の機運を盛り上げるキャンペーン

②現在の南相馬市の現状をリアルタイムに広く外に発信

今はこの2点でしょうか。これを速やかに実行に移そうとなりました。

 

最後にわが社の近況。

市内の工場が再開に向け動き出した事により震災前より行っていた仕事も

再開出来るようになりました。

7割ほど終っていた工事だったので作業を再開できると聞いて喜びました。

ただ、状況はまだまだ厳しく、次に繋がっていくはわかりませんが、

なんとか乗り切って見せますよ。




南相馬市で頑張っていきます。

2011年04月01日(金)

私、(有)原町美装 代表 菅野 知洋は現在南相馬市原町区に戻っております。

 

この南相馬市原町区で再び事業を再開すべく本格的に始動いております。

とは、言うものの仕事としては、震災前からの仕事が残っている位で

その後は、白紙と言うのが現状です。

20㎞~30㎞の屋内退避地区と言う観点から原町区において外に出て仕事をする事を

行政としては宜しくないと聞いています。(ダメとは言っていない。)

 

隣の相馬市はすでに復興に向け動き出しています。

南相馬市だけが取り残されていると感じているのは私だけでは無い筈です。

正直、焦りも有ります。だけどもう、立ち止まるのはやめます。

南相馬市の事業者が今、歩みを止めてしまったら、

やっと灯り始めた復興の灯を消してしまうことになると言う思いから

とにかく出来る事からやっていきます。

 

今日のお昼の事、職人の門馬君が避難先の山形から訪ねてくれました。

震災後3週間ぶりでした。

震災からこれまでの事、そして、これからどうして行くべきか、

私、私の両親、高島職人、門馬君で顔を合わせ話す事が出来ました。

南相馬市で会社として維持して行くべく雇用の助成金なども視野に入れ

様々な可能性を否定せず会社や従業員の生活を守っていける様

私はやらなければならない。

 

ちょっと硬くなったので余談ですが、ウエシマ作戦って知っていますか?

そうダチョウ倶楽部の「どうぞ。どうぞ。」のギャグから由来するもので

「どうぞ。どうぞ。」とみんなで譲り合って行こうと言うキャンペーンみたいなものですが、

私の1歳半の娘が最近良く使う言葉がこの「どうぞ。」です。

自分のお菓子を私へ差し出し「はい、どーぞ。」と

口の回りにお菓子のカスをいっぱい付けて言います。

私も「ありがとう」と答えると満面の笑みを浮かべてくれます。

震災後なかなか休まらない心もこの時は癒されます。