信じられるのは人の縁

2011年03月19日(土)

原発事故の為、避難を余儀なくされた私たち家族のその後の状況を書きます。

 

先述の通り私と妻と娘の3人は仙台へ。

両親、弟、祖父母、叔父、姪+オハナの7人と1匹は東京の妹の所へ一時避難しました。

私たち3人は妻の実家に快く迎えてもらい一息着けました。

ここはガス以外は復旧し、直ぐ前の義祖母の所はプロパンガスでしばらくは持ちそうです。

食糧は何時間か並べば買える。高齢の方には辛そうですが。

 

東京に避難した家族の方は妹の1Kのアパートに8人と言う状態になり

とても落ち着くどころの話ではなくなってしまいました。

そんな所へ、行政書士をしている弟の携帯に1本の電話がかかって来ました。

母の話によると、以前同業者のつながりで弟に仕事をお願いした事のある

愛知県在住のFさんからで、こちらの方で空家があるから、気持ちも落ち着ける為にも

愛知に身を寄越さないかと、言って頂き悩んだ末、両親と弟、オハナは愛知県の

岡崎市へ向かうことになりました。

 

岡崎市のコンビニでFさんと待ち合わせをして市役所へ行き避難者の申請をしたそうです。そこでは災害支援用のセットと毛布を頂き空家へ向かいました。

そこは新築のまだ人の入っていない一軒家で両親と弟は驚いていました。

Fさんからも色々と生活用品を融通して頂いたとの事でした。

その夜は3人と1匹は身を寄せ合って暖をとったと聞いています。

普段あまり感情を外に出さない弟のこの時は、Fさんや、

岡崎市役所の人達などの恩に触れ、

「僕はこの恩をどのようにして返して行けば良いのか。」と泣いたそうです。

 

現在も原発は余談を許さない状況が続いています。

私達の会社も今後の推移を見守るしかありませんが、

早く帰って皆さんに再会できる事を祈るばかりです。